J.S.バッハの鍵盤音楽
なぜバッハを弾くのか
バッハとの出会い
子供の頃,小学校の頃から,バッハの音楽が好きでした.ツェルニーは大嫌いでほとんど練習しませんでしたが,《インヴェンションとシンフォニア》は自分からすすんで楽しく練習していました.
メロディー+伴奏というホモフォニー音楽よりも,2つ以上の線が対等に絡み合うポリフォニーのおもしろさに惹かれました.特に,リパッティの《パルティータ》,グールドの《イタリア協奏曲》(小学生のとき発表会で弾きました)のレコードを聴いて,バッハの魅力に開眼しました.
刻々と和声,調性が変化することも魅力のひとつです.同じ音型が異なった色彩の下に登場するおもしろさがあります.また,あとから考えてみると,私はゼクエンツがとても好きなことに気づきました.モーツァルトのピアノコンチェルトやワーグナーの作品にも魅力的なゼクエンツはありますが,バッハはゼクエンツの宝庫です.というのも,経過部にはほとんどゼクエンツが使われており,ゼクエンツが構造に組み込まれているわけです.
思えば人生の節目節目でバッハを弾いているような気がします.小学校のとき,テレビ出演したのもバッハでしたし,恩師高良芳枝先生 (この先生につかなければピアノをあきらめていたかも知れません) にとっていただけるかどうかが決まる初めてのレッスンで弾いたのもバッハのパルティータ5番でした.ドイツ留学の奨学金試験でも,半音階的幻想曲とフーガを弾きました.
私の好きな作品
鍵盤作品では,《'ゴルトベルク変奏曲》 《平均律クラヴィーア曲集I・II巻》が双壁ではないでしょうか.《ゴルトベルク変奏曲》は,バッハの天才が凝縮された奇跡的な傑作だと思います.グールドのレコードを聴いて,昔から是非弾いてみたいとおもっていましたが,実際に演奏してみるとその精緻で論理的な構造美に圧倒されました.楽譜を見たり分析したりしているだけでも,幸福な気分になれます.ピアノをやっている方は是非一度弾いてみてください.
また《平均律》は,各曲についてプレリュードとフーガというコントラストがあるのに加え,調性,曲の性格,スタイルが各々異なり,非常に多彩であるため,弾いていて最も楽しめる曲集です.バッハは組曲のツィクルスを3つ書いていて,それぞれに魅力的ですが,同じ調性が続くため単調にならないように工夫する必要があります.
現代音楽との接点
バッハと現代音楽を好んで弾くので,両者に何か共通点があるのか,と訊ねられることがあります.あえて接点を求める必要もないと思いますが,強いていえば,現代音楽の中でも例えばシェーンベルクは対位法的な曲がほとんどですし,シュトックハウゼンも対位法的な書法を用いており,その点では共通性があります.
ただ,バッハの作品も,シュトックハウゼンの作品も,論理的に美しいという点では共通しているのですが,バッハの場合は精緻な論理と聴像が幸福な一致をみているのに対し,シュトックハウゼンは両者の間に不幸な解離があり,必ずしも結びついていない感じがする作品もあります.
バッハをピアノで弾くということについて
バッハが生きていた時代には,現在のようなピアノはなかった訳ですが,バッハの鍵盤作品は,ピアノがとても似合うものが多いと思います.ショパンのピアノ曲には,ひたすらピアノという楽器の特性に合う形で書かれた曲が多数あります.バッハにももちろん,今でいうピアニスティックな鍵盤楽器固有の語法を用いた曲もかなりあり,例えばショパンのエチュードなどにはかなりその影響がうかがえます.その一方で様々な様式,楽器編成の楽曲を鍵盤曲に置き換えた曲も多く見られます.合唱曲,フランス風序曲,バロック協奏曲,受難曲,トリオソナタ等々,それらはまさに「オーケストラ的な楽器」といわれるピアノにうってつけというか,様々な音色を創造していくための格好の素材と言えるでしょう.
そういう意味ではベートーヴェンやモーツァルトのソナタにも,とてもオーケストラ的な面があります.バレンボイムの平均律第2巻は,まさに多彩なオーケストラを聴くような豊かな色彩感に溢れていました.ただ,その逆を行く解釈もまた可能でしょう.色彩的な豊かさをむしろ消去して,純粋に数学的で抽象的な美しさをクローズアップする方向もあり得ると思います.グールドの「平均律」は,どちらかというとその方向に行っている感じがします.
当時の主な鍵盤楽器は,オルガンとチェンバロでした.強弱がつけられ,レガートの可能なクラヴィコードも登場していましたが,音量が小さいため演奏会ではあまり用いられなかったようです.チェンバロでは,アゴーギグ,ルバートなどで表情をつけていきますが,特に長い曲の場合は,やはりピアノのように強弱がつけられる楽器の方が向いているように思います.
これまでに私が聴いた全てのコンサートの中でも,アンドラーシュ・シフ,およびタチアナ・ニコラーエワの平均律クラヴィーア曲集第I巻,ならびにバレンボイムの第II巻は,ベスト10に入る素晴しいコンサートでした.ゴルトベルク変奏曲も,様々なCDを聴き比べましたが,やはりグレン・グールドのピアノを凌ぐものはありませんでした.ピアノでバッハ作品を弾くということは,バッハの作品を当時の演奏のあり方とは異なる形で,より生かすことができると信じています.
繰り返しについて
組曲,ゴルトベルク変奏曲,平均律の一部の曲(特に第2巻のプレリュード))には,前半と後半の終わりに繰返し¨があります.これを演奏するかしないか,奏者によって意見の分かれるところで,繰返さないと罪のように言う人もいますが,特に組曲の場合は必ずしも繰り返さなくても良いと思います.バッハの時代には,コンサート形式で集中的に聴くということはありませんでしたし,またレコードやCDなど再生装置もない時代ですから,同じ曲を何度も聴く機会に乏しく,繰り返しによってメロディーを印象づける必要があったのかも知れません.聴取形態の異なる現代にあっては,繰返す必要は必ずしもなく,繰り返しによってその曲の魅力が増すような場合に,選択的に繰り返す方が良いのではないでしょうか.
バッハ鍵盤作品のお薦めCD
平均律クラヴィーア曲集 I・II (エドウィン・フィッシャー)
グールドの演奏は平均律に関しては,宗教的要素をそぎ落とした演奏で,音楽の魅力が充分に現れていない,あるいはいささか変質しているように思います.
平均律と違って,宗教性よりも数学的な美しさを前面に押し出したグールドの演奏解釈は,この曲のすばらしさを最大限に引き出すことに成功しています.